2007-01-01から1年間の記事一覧

まめからさん祭り

「まめからさん」とは大豆が実って殻になるころに行なわれる(元は旧暦9月15日)ことに由来するという。 夜神楽は「道祖」から始まる。 (釣弓)

上町法印神楽─豊里行─

(アメノウズメノミコト登場) 豊里へ上町法印神楽(かんまちほういんかぐら)行 やっぱり、神楽は現地がいい・・

みちのくYOSAKOIまつり

みちのくYOSAKOIに初めて行ってみた。 わかわかしい

やまがた舞子さん

・・ 昼休みに市民広場に行ってみると「仙山交流味祭」 そしてお囃子が・・聞こえて・・ 山形に舞妓さんが!? ! テントがかわいそうなほど。 柳華さん みごと! http://www.yamagata-cci.or.jp/maiko/html/profile0.html 山形伝統芸能振興株式会社様 掲載…

秋空

あ き 秋の空 イチョウも色づいてきた いつの間に いちょう色づく 時の音

もしかして謎解きリンク

宇賀神─白蛇神─弁財天─宇迦御魂命─保食の女神─稲荷の使いの狐神─福徳神─穀霊─密教─修験─宝珠─玉 ・(宇賀弁才天)http://www.telemesse.ne.jp/daikakuji/0.html ・「宇賀御魂神」http://www011.upp.so-net.ne.jp/u-shirae/yuisyo/gosaijin-kitanoinari.html ・…

宇賀玉

豊穣の玉 田の神扮する農民が、豊穣に霊験ある宇賀玉を鬼から取り返す。50年ぶり復活の演目。 (田の神夫婦?) (盗んだ宇賀玉を持つ鬼をお酒に誘う) 即興がユーモラスでお客さんたちは大いに喜んでいた。 (鬼を油断させる夫婦の踊り) ついに「宇賀玉“めっけ”…

マチゲキ─夜神楽─上町法印神楽

マチゲキ “街が劇場になる”って 夜神楽は暗くなくっちゃ 宮城県登米市豊里上町の稲荷神社(通称 まめからさん)の例大祭で舞われる 上町(かんまち)法印神楽が仙台にやってきた。 夜神楽の舞台 法印神楽は修験(山伏)が江戸時代に始めたもののようだ。 道祖の…

奈良の古墓

六地蔵がお迎えする あの世へ 埋め墓と詣り墓が並ぶ その丘の上の五輪塔 14世紀! 玉虫?がもぞもぞと 棺を置く棺台 供物を置く前机 迎え本尊が埋葬前の三点セットと教えていただきました。 墓地の石仏 室町時代に遡るものも カナヘビ? 立ち並べられた石仏 …

ならまち

道の神に詣りて 奈良町へ いいなぁ 格子の家 二階 創業八百年!の薬屋さん 夜の帳に 心残りは阿修羅に会えなかったことだが 欲は身を滅ぼす アシュラ ならまち 朝の想ひ出

般若寺から東大寺にて宋人石工を偲ぶ

奈良 般若寺 朝の光に導かれて.. 13世紀中頃に造立された層塔(12.6m)を仰ぎ 出土した鎌倉期の先端部に往事の肌を感じ 御仏に出会う。 コスモスの花が似合いますね 宋人石工 父故伊行末と母のために息子が建てた笠塔婆(1260年)と 我輩は般若寺の猫である 我輩…

定禅寺ジャズフェス

11時、猛暑の中、 熱心なファンと 笙・YUU初登場! 今年のテーマのスティビー・ワンダーの“心の愛”を演奏しました。 (一番町) 緑の中で 老若男女の ジャズフェステ 707グループも参加するそうです。 (勾当台) 一番町も定着 和ジャズ!? 溌剌 “原点”の定禅寺…

定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台

( Bianca ) 台風一過の快晴と暑さの中で第17回定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台開幕す。 今年はますます街に溶け込んで、感がある。

登米町

明治21年に建てられた旧登米高等尋常小学校 懐かしい・・・教室に・・人影・ 先生と生徒・・ 授業風景のろう人形でした。 ろう人形に寄贈者あり 密やかに 思ひ出が交錯する 教室 (復元教室) 北上川の舟運で栄えた町。 中には入れなかったが。 明治22年に建て…

紫雲山紫神社

念願の紫雲山紫神社(登米市)に参る。 新しい社に「正一位」 さらに、石段を登って行くと 長保二年1000年に京都「山城国葛野郡今宮紫大明神」から勧請されたと伝わる由緒ある神。 (「長保二年」) 水引の花が咲いていた 境内の石碑 どのような神なのか? (紫雲…

紫神社に参りて、登米町の明治村に遊ぶ

「みやぎの明治村」という登米町に行ってきた。いいとこだった。 行く途中、道に迷って、伊豆沼の蓮の花に迎えられた喜び (周辺の地図)

仙台は青空

朝 青空! 仙台の街も 青空 秋空 緑陰 人もモデルも コンサート

初秋の雲

秋の雲 思い込みかな 涼やかに 涼しげな 一瞬の雲に 秋を知る

染殿神社

利府町赤沼の高台に鎮座する染殿神社 前面には赤沼(近年の埋め立てや道路工事でだいぶん変化したが) 仁寿二年(852)、文徳天皇の后が、付近に野生する「刈安草」を染料として染め方を教えたという由来(説明版) http://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_2051.…

平泉宝塔から紫神社へ

朝の平泉中尊寺はもう人出がありました。里帰りの人も? 伊達の殿様が植えたという杉並木は猛暑の中で救いの涼しさ。 願成就院薬師堂の平安後期の宝塔 塔身部の四方に金剛界四仏の種字を刻んでいます。八百年の時を超えて。 紫神社は気になっている神社で、…

中野流鵜鳥七頭舞

天に届け 中野流鵜鳥七頭舞(普代中!) 「なかのりゅう うのとりななづまい」とな ・七つ踊り(山屋賢一さんHP) http://sutekinaomaturisyasinnkan.web.fc2.com/nanatuodori.html ・「中野七頭舞」HP http://www2u.biglobe.ne.jp/~nanamai/about.htm 夜は撮ら…

北上みちのく芸能まつり─日高見国の魂─

日高見の国(岩手県)北上 諏訪の社に 集う神々 権現 天女 羽衣の縁あり 女神のふりした 鬼女、宝刀を盗み 小さき黒き顔の神、跳躍す。 水神 雨を降らし 早池峰の神にまみえた 真夏の憩い

津軽の夏

ねぷた (絵師・今大輔「水滸伝 董平奮戦之図」) 津軽富士(岩木山)が眼前に 石塔から蝉が ほんのり蓮が その名も「中別所」に 石塔(安山岩)が佇む 光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨 正和二年(1313)、高さ1.8m 「右於現当為没後追善彫大日之真形於石修菩提…

弘前ねぷた─津軽の魂─

(佐藤仙峯「天岩戸」) ねぷた ひょんなことから 夏の宵 津軽人 裏と表を 描き尽くす (佐藤仙峯「かぐら」) 五十嵐清勇「藩主為信公」弘前藩初代藩主大浦(津軽)為信! http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E7%82%BA%E4%BF%A1 昼から予感 三浦呑…

梅雨の「氷河期の森」

曇から青空が垣間見えたとき 日本原産のスイレンとされる未草(ヒツジグサ)に遇えました 梅雨の「氷河期の森」12時 ひつじの刻(1〜3時)に近い ・・白い輝きがコンパクトカメラを拒否しています。 捩花ネジバナねじりはな “昔は珍しくなかった”といわれますが …

多福院

カーンマーン セイタカ コンカラ 1.2m 応永五年(1398) (慈恩院より望む) おめでたい名の多福院は全国の板碑研究者の「多福院参り」といわれるメッカ 珍しいアン字房 【牧山住僧伝灯大阿闍梨位 応安四年(1397) 刑部頼禅六十八歳為逆修敬百】 皆様の長寿祈願 …

霊場松島雄島

松島、特に雄島には200基を超える井内石製の板碑が確認されているという。 極楽往生の近道として武士・僧を初めとして高野山のように納骨がなされた。 map:x141.0624y38.3655:map 珍しい雷文様が(正和二年1313) 恐らく南端に立つ井内石製の高さ3mの巨大な板…

井内石の旅(南方編)

以前に紹介した石巻の西方30数?、鳴瀬川辺の凄い井内石製の板碑。鳴瀬川と幹線道路の節点か? 左は武蔵地域の影響を受けた阿弥陀三尊種字弘安二年(1279)板碑、右は阿弥陀立像を刻んだ正元二年(1290)板碑。 一帯には40数基の板碑があり、寺院があったのかも知…

湊・慈恩院

多福院の北側に隣接している。 右側は冒頭に掲げた弘安七年碑 偈頌「一切衆生 悉有仏性 如来常住 無有変異」(『大般涅槃経』) 牧山宮■■重吉が病で没し、五七忌に遮那を主尊として造立するという注目すべき銘文がある。 ・参考『石巻の歴史 第八巻 古代中世編…

石巻湊・多福院

もちろん、地元では多福院境内(吉野町)の93基(鎌倉〜室町時代)をはじめ沢山の見事な板碑が造立された。 「安養寺殿大禅定門第三周所造立也」と刻まれた元徳三年(1331)の板碑 みごとな種字ウーン(胎蔵界大日如来) 梵字五輪塔種字板碑(応永二十年1413 高さ2.8m…