平泉宝塔から紫神社へ

tenti2007-08-11


朝の平泉中尊寺はもう人出がありました。里帰りの人も?
伊達の殿様が植えたという杉並木は猛暑の中で救いの涼しさ。

成就院薬師堂の平安後期の宝塔

塔身部の四方に金剛界四仏の種字を刻んでいます。八百年の時を超えて。

紫神社は気になっている神社で、その一つ宮城県大崎市古川清滝明神の紫神社に行ってきました。見事な林の中の長い参道を歩けるりっぱな神社でした。参道の蜘蛛の巣には参りましたが。

12世紀後半のかわらけが境内裏より多量に出土しています。ここは由緒不明ですが、比較的近くの登米市の紫神社は1000年に「山城国紫野今宮大明神」から勧請されたとされているのでその系列の可能性があります。前者は「清滝」という地名も京都風です。

「紫」の意味は当地では「村崎」と解釈されている場合が多いですが、伊藤美津さんは「紫」を植物染料と解されており注目されます。同氏は仙台から宮城県北部に19社を数えています。そして国府と関わる染料供給地占座説を提示しました。 京都紫野にある今宮神社は11世紀初にの疫神を祀ったことに由来するとされ、紫草は染料であり、薬草でもあるのでこういったことと関連するかも知れません。いずれにしても古代末から中世?にかけて宮城県北部一帯が紫草の一大産地だったのかも知れません。

平安末期に染料素材・薬草として紫草に関する国府を中心とした動きやその後の展開を反映しているとすれば興味深いです。とすれば分布がもっと別地域、全国にあると面白いのですが、ご存知ありませんか?