資福寺のアジサイ


     あじさいの季節です。

  仙台 資福寺の紫陽花を久しぶりに見に行きました。

              慈 雲



                祈 り


 慈雲山 「資福禅寺」(仙台市青葉区北山)

 仙台北山五山の内。紫陽花寺として知る人ぞ知る寺です。

 初夏の日差しの下 お年寄りや風流人の憩いの場になっておりました。
 茶処(左手)の庭を眺めながらの抹茶がおいしくて仙台の数少なくなった別天地です。


 ひっそりと「平和観音」(土井晩翠筆 土田文治彫刻 昭和27年)
 ※下記境内図の「晩翠」と書いてある所です。

 「戦災供養地蔵」
 太平洋戦争後 篤志家によって祀られたと旧『仙台市史』にあるものがこれであろうか。
  「戦後」は遠くなりにけり か


【慈雲山 資福寺】
臨済宗妙心寺派仙台市青葉区北山一丁目13-1 伊達政宗仙台城を築くに際し、米沢(山形県)より移転。
明治3年さらに9(1876)年の北山一帯の火事により、壮大な伽藍を全焼した。明治38年本堂・庫裡再建。
伊達氏三世義広が入道し、覚仏と称し、伊達五山(福島県伊達郡桑折)の観音寺とする。元亀3(1572※永禄9年説あり)年伊達晴宗が虎哉和尚を米沢に招いた際、「資福寺」と改め妙心寺末となる(開基は長井氏)。もとは建長寺末と思われる。天正19(1591)年、伊達政宗岩出山移城とともに同地に移る。境内に伊達氏累代の家臣、濱田家代々の墓等がある。(佐々木久『宮城県仏教史』1977+『宮城県寺院大総覧』+旧『仙台市史』)。

[北条時宗が招いた開山大休正念]
開山の仏源禅師は大休正念(だいきゅうしょうねん 1215-1185) 宋の禅僧。文永6(1269)年、北条時宗の招きで来日、鎌倉の禅興寺に入り、建長寺三世住持となる。寿福寺ついで円覚寺二世。正観寺にて75歳で寂する。遺骨は寿福寺に納められた。鎌倉武士に多大の感化を与え、多くの弟子を育てた(大休派 仏源派とも)。(竹貫元勝『日本仏教史辞典』吉川弘文館)
(ウィキペディア)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%91%E6%AD%A3%E5%BF%B5
大休正念の望郷の詩「夢蝶」
 二十年間東海遊 
 幾随夢蝶過滄洲 
 佗山雖ト亀蔵地 
 故国寧忘孤守丘 
 万事此生心已足 
 百骸未散意先休
 尽情分付無何有
 雲自高飛水自流

うまく訳せませんが、宋から来日した高僧は夢にみた蝶にしたがい、故郷を訪れたのですね。
下記の村井章介先生の本『東アジア往還』によれば日本で亡くなる直前の詩で心を打たれるものがあります。
・大休正念と北条時宗NHK「その時 歴史は動いた」HP
 http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2005_04.html
・大休正念の書(文化遺産オンラインHP)
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=91979

東アジア往還―漢詩と外交

東アジア往還―漢詩と外交


  また おいでくださいな