横手木綿と藍染の祖 最上忠右衛門

最上家は、もともと最上義光の配下に属した家系という。天文、寛保(1741年〜1743年 江戸幕府将軍は徳川吉宗)の頃、最上忠右衛門は横手の「小禄士族の家計困難なるを聞き、自ら綿を仕入れ、試みに織らしめたが是が売行の良好なるを見て」事業を拡張し、「横手木綿」の基礎を確立した。第10世忠右衛門(竹松)に至り、阿仁銅山御用係となり、当地方は木綿の大集散地となった。当時、飢饉にみまわれる中、染色型に使われるデンプンの代わりに、「根花」(蕨粉)にモロコ沢の白土を合わせたものを考案し、染色業は盛況を呈するに至った。明治中期には染色業者110数戸、染木綿年40万反を生産し、染型は仙台南部に至るまで好評を博したという。
11世忠右衛門(長蔵)に至り、仙台に分工場を設け発売し、白石近傍の石川村内親の白土により事業を続け、さらに同家子孫により、デンプンに代わり生麩より製する「粘性の大なるもの」を改良し、「仙台の常磐型として事業が益々発展」し、「明治34年奥羽6県の連合共進会の染色業の独立して審査される」に至った。
(糸井藤之助「横手木綿及藍染の祖最上忠右衛門」『横手郷土史資料第47号』)
 http://www1.city.semboku.akita.jp/tosmok.asp?tilcod=121467&mngkbn=01&style=IF
奥野信太郎「横手の雨」─「川岸に横手木綿を染める紺屋がずらりとならんでいた」
http://touhoku.com/00x-10-44okuno-01-yokotenoame.htm
羽州街道(いいまち秋田HP)
横手城下http://www.iimachi-akita.jp/ro/kaido/dai6/yokoteji/yokotezyoka/yokote.html

藍の型染―消えてゆく木綿のうるおい 本田洋子コレクション

藍の型染―消えてゆく木綿のうるおい 本田洋子コレクション


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