常磐紺型伝承館


雨の中、常磐紺型伝承館(仙台市若林区文化町3-24)「絵絣展」(最終日)に出かけました。
常磐(ときわ)形は明治20年代から大正末年にかけて、仙台で行なわれた木綿染めとのことで、仙台にこんな「庶民芸術」があったとは驚きました。仙台の特産品として全国へ販売されれましたが近代化の波で姿を消した「幻の型染」なのだそうです。

染めのことは分かりませんが、「絣織の文様を型染で表現する」ものだそうです。紺色や柿渋地に牡丹や菖蒲の花がデザインされていてすっきりしたデザインが素敵でした。
柳宗悦の『日本民藝図説』(昭和9年)には仙台の町々では、女性達が年に応じて大形・中形・小紋形などの常磐形という紺染(紺絣模様の型染)を着ていることが書かれているそうです(『仙台市史 美術工芸』)。

常盤紺形は「最上染工場によって長町に根づかされた木綿染(型紙を用いた模様)のことである。これは、秋田県横手の最上忠右衛門が創案したものである。

明治23年1890)忠右衛門の子・徳治は、原料の藍が豊富で水質にも恵まれている名取郡長町字町東に移り約四千坪の最上染工場を設立したが、原料の白土を秋田県から取り寄せることは甚だ不便であった。そこで、県内各地を捜して刈田郡白川村の青木山で穀物糊の代用になる白土を発見、また蕨粉糊に代る生麦糊を用いるという改良を加えたり、藍から化学染料に変えるなど様々な改良を行った。
その染色法は、仙台に移った頃、『色沢鮮麗且堅牢』なところから「常盤」の語を冠した名称が使われ、一躍仙台地方の特産品になっている。」(「」の説明は「常盤紺形(染色法)」より(仙台市太白区まちづくり推進協議会HP))
http://taihakumachikyo.org/taihk/taihk232/index.html

「仙臺型染 常磐型」として再現された素敵な型染めのインテリア小物や暖簾等は他ではなかなか手に入らないお土産になるのでは。ご主人様懇切なるご案内有難うございました。
常磐紺型伝承館(せんだい旅日和HP)
http://www.sentabi.jp/0000/0026/index.php?f=000000260006
常磐紺形をはじめた最上忠右衛門(もがみちゅうえもん)は「文政9年生まれ。明治38年4月24日死去。80歳(1826‐1905)。幕末-明治時代の染色家。出羽(でわ)横手町(秋田県)の人。藍(あい)染めの型付けのりにもち米の代用として粘土の使用を工夫研究し、染め上がりをよくした。明治20年宮城県仙台にうつり、この技法を同業者にもひろめる。染め物は常盤紺形とよばれ、仙台の特産物となった。」(kotobankHPより)
◎大正時代の高い評価「大歓迎を受けて居る東北物産」(神戸大学附属図書館HP)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00841564&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA

【「手仕事の日本」の常磐型】

手仕事の日本 (岩波文庫)
柳宗悦(1889-1961年)の『手仕事の日本』には、嬉しいことに、冒頭に人間国宝芹沢?介の「陸前仙台 常磐型」の小間絵が掲げられ、本文には「紺地の木綿に花模様をあしらった型染で、どこか郷土の香の残るものであります。」と評されています。

「秋保の仕事着は、花柄の型染であり、絣型が見られること、その両者を取り合わせているなど、柳宗悦が見た仙台の常磐紺形の風俗を一端を示すもの」(庄子晃子「仙台の染物デザイン─常磐紺形木綿染めⅡ」『仙臺文化8』)