鷲倉神社

続日本紀宝亀11(780)年、伊治公砦麻呂の乱さいして「鷲坐」以下五道を守らせた「鷲坐」に比定。

「鷲倉山」とここも鷲の名が付いている。この地は鷲が神なのだろうか?

 鳥居をくぐった左手に花とほの明るい美しい墓地があった。別当寺鷲倉山松岩寺(天台宗 伝養老年間(717-724年)創建の本山派修験弥勒院が改称)の僧等の墓地らしい(市史による)

 その奥のこ高いところに中世の供養碑が立っている。
字はよく見えないが「右志者為慈□ 元弘二(1332)年壬申四月廿七日 □生死頓証(菩提を表す一字)乃至□」とあり、左側面が寛永十(1633)年銘 「護大僧都法印弥勒院」の墓碑として転用されている(『市史 板碑1998)。


おもしろい草のはえた階段を登り

もっと急な階段に息を切らし

巨大な「姥杉」に感激 樹齢500年とも

社殿の前にも中世の供養碑が立っている。バン(金剛界大日如来)の種字、字はよく見えないが『市史 板碑』によると「嘉元四(1306)年 大才丙午弐月三日彼岸第一施主等敬白」とあり、西方の旧社殿付近から移動したものとされる。
大石直正氏は【領主大河戸一族が、彼岸の最初の日に鷲倉山の山頂に集まり、泉ヶ岳を望み、念仏を唱え、入り日を拝した】とする。

祭神は大巳貴命 近世には「権現様」といわれている。『泉市史』は別当の松岩寺が天台宗なので摩多羅神といるが、むしろ地主神ではないのか? 社殿は西方の最高所にあったらしいが、その山は後述するように今はない...
神仏習合の中世のたたづまいを伝える根白石の風土と人情を味わった一日であった。

 まさに神と仏の山
そして、鷲倉神社の背後の山(標高290m)に登って 不思議な音が

上り詰めた所は「山がなくなりつつある光景」という現実だった。

そういえば、境内にあった

「鎌倉権五郎景政伝説」を伝える鞍掛石は そこにあったものか? 「屏風岩」は鷲倉山と一体の聖地でなかったか?

姥杉よ さようなら

・鷲倉神社HP
http://kamojinja.org/ken/wasi.htm
・(仙台中央市民センターHP)http://www.stks.city.sendai.jp/sgks/WebPages/izumiku/44/44-13.htm
◎鞍掛石の元の姿など(泉区HPより)
 http://www.city.sendai.jp/izumi/soumu/syasinkan/meisyo.html
 http://www.city.sendai.jp/izumi/soumu/konjaku/03nenosiroisi.html
帰りは戦国時代、在地領主国分氏に支えられた古社 宇那禰神社に参拝。


境内には熊野神社もある。
宇那禰神社HP http://www.myojin.org/annai/index.htm
【二日間の踏査の感想】

         (根白石城跡「三十三観音」石仏の一つ 近世)
根白石は中世には「山村」(やまむら)と呼ばれ、古代から山越えの幹線道路など四方にのびる道の結節点であり、水運幹線でもある七北田川(古称 冠川)の源流に近い交通の要衝で、密教寺院が10世紀にはにすでに存在していた。鎌倉時代頃には鎌倉や関東とつながる武士団がこの地を治め、当時の文物が流入していた。
南北朝時代には国府(岩切付近にあった)争奪の拠点となっている。