根白石 堂庭山


 なつかしい景観の「堂所」「堂所屋敷」地区 この名が由緒を語る...

 土地の人と話し(熊も出るというので鈴を忘れた私はアセッタ)、拝礼して鳥居をくぐって、堂庭山(252m)へ

 暗い古道に 光差す 木々

あっ この花もきれい 
その名も「ヒトリシズカ」.. 実は三人静でしたが←kubitaoruさんありがとうございました!
(山口美佐さんのHP Take the Airより)http://homepage1.nifty.com/y_misa/sansaku/haru/haru06.html

鷲尾神社前の杉はすごい 人一人の狭い空間が神につながっている。

現在は小社だが、額には「鷲尾大権現」とあり、『泉市史』によると後述の鷲倉神社の親類神で、その北方守護の神と推定している。

古代の堂跡が発掘され(礎石のほか復元配置された鉄円盤が設置されている)、密教寺院に関わるものとして注目される。『市史』では10世紀の十二角形の宝塔とする。

背後の山でクマでなくカモシカに出逢う幸運を得た。数秒見つめあったのだが、カモシカの性格のようだ。
・(magpie HPより)http://homepage3.nifty.com/tinnunculus/wildlife/anima-hon-main.html
 林を突き抜けると北方の平地が開け、斜面は伐採されて新しい道が切り開かれ、右手には大和町の団地が迫っていた。

◎鷲尾神社の伝説(仙台中央市民センターHPより)
 http://www.stks.city.sendai.jp/sgks/WebPages/izumiku/44/44-19.htm
・鷲尾神社は一つでなかったhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AE%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%B8%82)

根白石の町のもどったところの食堂はなんと「わしお食堂」 珍しい「行者ニンニクラーメン」(500円)を食べてスタミナ補給。そういえば町にも「鷲尾」の看板がみられる。
http://www.kamuri.net/guidemap/seibu/syoku/index.html
実は鷲尾家(江戸時代には根白石村の肝入)の祖先は源義経の家臣の鷲尾三郎義久で義経が平泉で自害した後、落ちのびてこの地に土着したと伝えているという(『仙台市史 城館』2006 仙台市)のは面白い。
鷲尾義久(ウィキペディア)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B2%E5%B0%BE%E7%BE%A9%E4%B9%85
 義経とともに亡くなったことになっているのだが...

北方(大和町方面)への道の入口は戦国時代には根白石城が抑えている。

宇佐八幡神社

永正年中(1504-1520)に彦山修験が宇佐八幡の神爾を根白石鹿瀬に持ち来るものを白石城主が移転したとする説等がある(『泉市史』)。
(仙台中央市民HP)http://www.stks.city.sendai.jp/sgks/WebPages/izumiku/44/44-06.htm
境内社の兎口神社の祭神が第六天とはうかつにも知らなかった!
http://d.hatena.ne.jp/kanjisin/20070116
館跡の近くや道端には中世の供養碑が立っている。

 字はみえないが「是生滅(法) 延(慶) 生滅(々己) 寂滅為(楽)」と読めるという(『仙台市史 板碑』)
 ※延慶年間とすれば1308-1311年

 バク(釈迦如来)の種字 「寂然 弘安八(1285)年乙酉二月」(『仙台市史 板碑』)
・「いずみ史跡今昔物語」マッブ(泉区HP)
http://www.city.sendai.jp/izumi/soumu/konjaku/03nenosiroisi.html