和賀大乗神楽


念願の和賀大乗神楽       (荒神)

四方からの災いを防ぐという荒神

「三つ目の阿面を付け鳥兜かぶり、常依に袴姿で玉袈裟をつけ、4本の幣束を背中の腰にさす。1人の舞。
4本の幣束は、北東(鬼門)と東西(病門)、更に南東(風門)と北西(乾天門)に立て祈祷し四方より大龍(災い)の侵入を防ぎ、幸いと豊かさを招く。荒神も法印の資格を持った者しか舞えない。
荒神」は、荒ぶる神の舞。和賀大乗神楽の荒神は、憤怒の赤面で三つの目を持っている。三つの目は、飢渇神・貪欲神・障礙神を表している」(説明『神楽と北上川』(いわて民俗観光プロジェクト)以下同)

軽快で切れがある
「三番叟追っかけ」

「大乗神楽では、翁舞いとして位置づけられ黒面で滑稽なしぐさが特徴。追っかけが出る真似三番叟は、会場を巻き込んでおもしろおかしく演じるが、昔は興に乗った客が飛び出して踊ったという。 」

「人々が末永く無事で長生きできる事を神歌にのって四方を踏み固め、邪悪を浄化する。」

 あそう太郎! 麻生太郎のパロディ登場に会場沸く。

 会場との楽しい交流


「榊」

修験色の強い大乗神楽の中でも修験らしい祈祷舞

「髭のある吽の白面を付け、ザイをかぶり、常依(千早)・袴姿で玉袈裟をかけ二本の幣束を背負い帯刀する。
大乗神楽最高の祈祷舞いで、法印の資格を有する者しか舞えない。
法印の資格を得るには、7日間神社や寺に籠もって呪法や舞いを師匠に従って修行。その間、肉・魚は禁止、修行者以外の火を用いてはならないなど厳しい仕来りがある。 」

「榊の舞いは、手次や踏み足の所作、九字(手印)など随所に修験の呪法が強く残る祈祷舞。
榊舞には、「初夜」と「後夜」があり、昼は「初夜」を舞い、夜は「後夜」を舞うが言事が多少違うが舞はほとんど同じである。 」


お仕舞は「権現舞」。
「下舞と権現舞からなる。下舞は、脱ぎ垂れ姿で錫杖・扇・数珠や手次を使って一人で舞う。権現舞は、下舞の舞手が権現頭を舞わし、もう一人が幕の後を持って、歯打ちし四方を拝む。
権現とは、仏が衆生済度に、仮の姿(獅子頭)で現れる事。権現舞は、神社の祭神や産土神を自らに降ろして地域安泰・五穀豊穣・無病息災・火防を祈願する。神仏の供物(米・酒・水)を祈祷し、参拝者の身体を咬み祈祷をう。」
和賀大乗神楽
口伝では600年程前、和賀町煤孫の龍頭山馬峰寺の開基「貴徳院円光法師」が創始したとされ貴徳院法印神楽と呼ばれていた。江戸時代久しく中断していた神楽を慶應年間に佐藤寅次郎が、妻の父親・南笹間万法院永岩法印から手ほどきを受け煤孫大乗神楽として再興した。その後、更木の大福院、江釣子の自性院らと共に芸の研鑽に励み保存をはかってきた。
昭和49年岩手県指定、53年には国の記録選定を受けその後、山伏神楽としては特異な存在から和賀の大乗神楽として他の4団体(村崎野・宿・上宿・北笹間)と共に県の再指定を受けた。「榊」を連綿と受け継ぎ、大乗神楽の牽引役として全体のレベルアップに貢献してきた。3人の法印を有する。
元旦には、煤孫の古舘神社(旧貴徳院)に参拝奉納し、別当の武田家で舞初めをしている。3月には、煤孫慶昌寺本堂で定期公演を行い、その他「北上市大乗神楽大会」「北上みちのく芸能まつり」、煤孫集落の秋祭りや各種イベントに出演している。」
※以上の説明はパンフレット『神楽と北上川』(いわて民俗観光プロジェクト)より
・和賀大乗神楽(いわての文化情報大事典HP)
http://www.bunka.pref.iwate.jp/dentou/kyodo/shousai/geinou_011.html
⇒「北上川の神楽─みちのくの神々」(全体)
http://d.hatena.ne.jp/tenti/20090301