布佐神楽



             土の神こと

            (ヤソヨロズタモノ尊)

             芸能の神こと

                  (アメノウズメノ尊)

     布佐神楽は南部の里の能であり歌舞伎であった。
岩戸開き

               (アメノウズメノ尊)

                (スサノオノ尊)

                (天照大神)

  (アマテラスオオミカミ・アメノウズメノミコト・タジカラオノミコト・・・)
天照大神が弟スサノウノ尊の乱暴狼藉に怒り、天の岩戸に隠れて闇夜になった高天原で神々が、岩戸を開ける方策を考え岩戸の前で盛大な祭を始める。アメノウズメ尊が神懸かりあらわな姿で舞うと神々が囃し立てた。何事かと岩戸を細めに開けたところを力持ちのタジカラオウノ尊が岩戸を押し開いて天下が明るくなったと言う神話に基づく舞。南部神楽ならではの豪快な男舞と華麗な女舞が見所。」(説明『神楽と北上川』より(いわて民俗観光プロジェクト)以下の「」は同)
「一ノ谷の合戦」

敦盛とその妻

妻 玉織姫

  別れ

死を覚悟する敦盛と 演者の汗


熊谷次郎直実 涙をのんで敦盛の首を取り、出家する。
予想を超えたレベルの高い神楽であった。 
「南部神楽の真髄」と言われるのも納得。
三番叟




     能面に似たお顔があったっけ
所望分神語

           (ヤソヨロズタモノ尊)

                                         (※写真は全て藤田象観)
「春夏秋冬の神と土用の神が、1年間を平等に分け与えられると言う6人の舞。
ヤソヨロズタモノ尊が四季の神に自分の分も分けて欲しいと頼み込むが断られ、5神の争いになる。そこにミナカノヌシノ尊と言う大元神が現れ、四季の神から18日づつ土用として与える調停案をだし和睦を図った物語で陰陽五行説を基にしている。春夏秋冬は72日間、その間に4つの土用が18日間ある。それぞれに春は緑、夏は紅、秋は白、冬は黒、土用は黄と色分けされてもいる。」(『神楽と北上川』(いわて民俗観光プロジェクト)
・土の神→土用→土公神(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%85%AC%E7%A5%9E
・この土公神に関わる神楽は各地にあって興味深いです。
→「舞!組曲」HP─花祭─花祭の鬼
 http://www.photoland-aris.com/myanmar/japan2/15/
→「備中神楽のお話」HP
http://www.h3.dion.ne.jp/~m.oku/kagura25.htm
 陰陽道の神々であったのですね。
 陰陽道の神々 (佛教大学鷹陵文化叢書)
布佐神楽 
一関市指定無形民俗文化財。「文久3年(1863)に旧一関市相川から旧川崎村布佐に伝わった。その後旧東山町松川の法印から学び倭書記神楽の巻物を伝授された。明治時代に4代目まで相伝した。大正4年、5代目に引き継がれた頃から全盛を極め、式舞を充実させ、源平盛衰記・曾我兄弟など10数演目が加わり南部神楽の隆盛期になる。それから途切れることなく昭和47年保存会を結成するに至った。昭和53年川崎村無形民俗文化財の指定になり、合併後一関市の指定となり現在に至る。
布佐神楽は、現在でも式舞を大事にしながら南部神楽の神髄としてのセリフ神楽を演じている。神舞として三番叟・御神楽(鳥舞)・岩戸開・弓八幡・山神・釣弓・三宝荒神・水神明神・所望分神語・魔王神語・八岐大蛇退治・御室焼・羽衣・黒塚・五夜などを伝承し、幕ものとして源平合戦楠公・一ノ谷などをレパートリーとして50演目を有している。熊野神社祭礼(4月29日)や伊吹神社祭礼(4月16日)に欠かさず奉納、地域の活動を大事にしている。」(『神楽と北上川』(いわて民俗観光プロジェクト)

・布佐神楽(一関市HP)
http://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/6,1650,74,html
⇒「北上川の神楽─みちのくの神々」(全体)
http://d.hatena.ne.jp/tenti/20090301