波宇志別の神・神子の託宣・葦毛の駒


(ほろわの里資料館・神官大友家に伝わった神子の衣装) 
この八沢木の地域は中世において夜叉鬼と呼ばれ、領主は大友氏(小野寺氏の家臣)であり、保呂羽山の神官でもあったとされています(『秋田県の歴史』図説日本の歴史)。その大友氏が現在も神官として霜月神楽を継承し、地域の精神的紐帯の役割を担っていることに感動せざるを得ません。波宇志別神が山の神でお不動さまの眷属の三十六童子が守るのか? この式内社のみが生き延びた理由は中世に修験道の拠点になったせいなのかななど 考えています。ただし、前述の塩谷氏は神官の大友氏が領主化したことを生き延びた原因と考えています。
真澄が歌った「八小女」は八乙女のことだろう。中世の能(世阿弥の「蟻通」「住吉」)やお伽草子(「烏帽子折 草子」)にも「八人の八乙女 五人の神楽男」がセットで登場します。「八乙女」(八少女)は神に奉仕する神子 さんのことのようですが、託宣が八乙女で、神楽は男性陣と本来はの役割は分かれていたのだろうか? そういえば、仙台にも地下鉄「八乙女駅」があってハッとしました。 八乙女氏氏は国分盛氏の一家と伝えられています(『宮城県姓氏家系大辞典』)が元はやはり、8人の神子に由来するのかもしれません。

                   (神楽殿)
あと、わたしは聞き逃しましたが波宇志別神社の霜月神楽にも「葦毛の駒」が神降ろし歌に登場したとする  と、ネットで調べると神様が乗る馬は「葦毛」の馬が多くて(桜川市五所駒滝神社の神様とか)、貴人の頼朝も そうでした。そういえば遠野の物語の禁断の地トンノミの森の貴人もそうでした。葦毛の馬はいい馬が多いの でしょうか? 謎は尽きません。
【参考】
 波宇志別神社・葦毛の駒(「北方の滄海」HPより) 
  http://blog.goo.ne.jp/boogiewoogiesunday/s/%C7%C8%B1%A7%BB%D6%CA%CC
  ・参考にした本『別冊太陽№115 お神楽』