おさぇんつぁま


 旧暦小正月の1月15日に行なわれるお塞神祭は地元では「おさぇんつぁま」と呼びます。この地は出羽三山へのお参りの宿場町として賑わったところだそうです。
聞くところによれば、朝から山で切りだした松の生木で氏子たちが「男根様」を削りだします。大きさは10cmから大きいものは30cmほどに見えました。七時半頃より神社本殿にてご祈祷を受け、「男根様」は「御塞神様」となります。そして、鳥追いの掛け声を叫びながら、かっては村のはずれにあった塞神様まで歩みます。暗闇の境内には「お斎燈」が点々と灯され幻想的です。かっては門口にも立てられていたようです。
・お塞神まつの(山形ふるさと塾アーカイブス)
http://www.yamagata-furusatojuku.jp/cgi-bin/dogasite.cgi?mode=do_page&kdata1_do=10703061646121725&kdata1=8
 八時半頃よりクライマックスの御塞神さまや神札(板札)を集まった人々に撒き、激しい争奪戦がくりひろげられます。お塞神様は塞神はサイノカミ・サエノカミそして「道六神」「道祖神」「岐の神」とも呼ばれる境の神でありまが、当地では子孫繁栄・火の安全の女神とのことです。今年、近隣より集まった人々は例年より少ないとのことで200人あまりでしょうか。例年は300人くらい集まるそうです。怪我人がでなかったようで何よりでした。
神社の方々・氏子衆や地元の皆様にはお忙しいところ懇切なるご案内やお教えをいただき誠に有難うございました。
今度はいよいよ春4月2・3日の舞楽ですね。 平日です・・・

 そういえば、平塩熊野神社養老5年(721年)に行基熊野三所権現を勧請して開いたとの伝えがあります。もとは熊野三所権現にならい、護摩堂・内御堂・如法堂に分かれていました(現在の神社後方の高台)が、明応年間(1492-1500)に現在地に合祀されたそうです。行基養老元年(717年)にあの醇泉の湧き出る秋田鹿角の大日霊貴神社を開いた後、この塩の湧き出る地に熊野神社を勧請したということになります。伝説とはいえ、行基信仰を奉じて、みちのくの資源ある地を開いていった、知られざる聖の活躍があったのでしょうか。当地は鎌倉時代には幕府の政所別当を務めた大江広元の子孫の支配地(「寒河江荘」)でもあり、由緒の地なのです。

【データ】
→・大日霊貴神社訪記
http://d.hatena.ne.jp/tenti/20090103
・「塞の神さま」から見られた方・「御塞神祭」全体は→http://d.hatena.ne.jp/tenti/20090209
→・平塩熊野神社の十王像訪記
http://d.hatena.ne.jp/tenti/20080720
→平塩熊野神社(建築相談センターHP)
位置
http://www.dewatabi.com/murayama/sagae/hirakuma.html

大きな地図で見る
(※拡大すると熊野神社の標記が現れ、航空写真にすると地形や雰囲気が分かります)

   (ここも温暖化の地でしたが、流石に翌日の朝は-2度で車のガラスは)