和賀の大乗神楽31番奉納─奥寺堰完成330年記念

tenti2009-07-12


                 (帝童)
「伊勢の森」の大乗飾りや切紙で荘厳された舞台で大乗神楽最高の儀礼「大乗会」が開催されました。

                 (伊勢の森 朝8時)
その地は岩手県北上市村崎野天照御祖神社(あまてらすみおや 通称:伊勢神社)

                若き和賀の魂 

 牛頭天王のこどもたち三神の舞(舞手も三兄弟とのこと「七五三切」)


 
  白眉 でした    (帝童 村崎野大乗神楽)

(湯引 村崎野大乗神楽)

                (鐘巻 和賀大乗神楽)

鎌倉開山伏屋という長者の一人娘が鐘巻寺に参拝に‥

鐘を突いた娘は蛇身になって熊野の修験者に襲いかかる。
能、歌舞伎、浄瑠璃の演目として有名な「安珍清姫伝説」の「道成寺」と共通性がある。

牛頭天王ことスサノオノミコト (天王 和賀大乗神楽)

                (正足 宿大乗神楽)

                (後夜榊 村崎野大乗神楽)
榊の舞は大乗神楽最高の祈祷舞。

 御祖神アマテラス       (岩戸開 上宿和賀神楽)
大乗神楽は、法印と呼ばれる山伏達が「本地垂迹説」(仏が日本の人々を救うために神として現われたとする神仏習合の説)に基づき、修験の所作を取り入れて舞った神楽。

                (鬼門 村崎野大乗神楽)
平成16年の大乗会に104年ぶりに復活した大乗会にしか舞わない祈祷舞。80分かかる。

                 (橋引 村崎野大乗神楽)

             乙女 (橋引)
「大乗神楽の特徴は、手次や踏み足、九字などの修験の呪法をきちんと行うところにあります。手の振付を「手つぎ」と呼びますが、手は決して腰より下げてはいけないと戒められています。踏み足は反閇で、東西南北中央の五方を踏み固め、悪霊を鎮めます。本来は舞台飾りを厳密に行い、舞台の四隅に忌竹を立て、一方に天神宮をまつり、鬼門(東北)と裏鬼門(南西)との隅に釜をすえて支柱を立てて、太い注連縄を張ったといいます。また、五色の紙を切って天蓋をつくり、天井から下げられます。 」(民俗芸能・郷土芸能com)
http://minzoku-geinou.com/column/post_94.html


この地一帯(飯豊・村崎野・藤沢・成田・二子)を潤す用水堀「奥寺堰」を奥寺八左エ衛門が延宝2年(1674)に完成させて330年、同年、天照御祖神社(通称:伊勢神社)を創建した佐々木惣三郎もこの事業におおいに協力しました。この記念すべき年を村崎野大乗神楽保存会は大乗神楽最高の儀礼「大乗会」(だいじょうえ)を祝うこととし実行委員会を結成したのものです。

               (伏獅子 村崎野大乗神楽)
大乗会は第1回が嘉永2年(1849)、2004年に104年ぶり!に復活したものです。大乗会の開催には、全団体が大乗神楽最高の祈祷舞「榊」を舞う「法印」の資格が必要。
夜10時半終了 

                   (切紙)
【データ】

大きな地図で見る
・岩手日日新聞HP
http://www.iwanichi.co.jp/kitakami/item_13234.html
・和賀の大乗神楽と奥寺堰(今回の立役者の御一人okuderazekiさんのブログより)
http://okuderazeki.at.webry.info/200906/article_6.html
・奥寺堰(疏水名鑑HP)
http://www.inakajin.or.jp/sosui_old/iwate/a/333/index.html

戦国の末に滅びた名族和賀氏も喜んでいたような氣がしました。


次第

 伊勢の森 8時

 天照御祖神社に岩手県無形民俗文化財の「和賀の大乗神楽」5団体が集う。

 次代を担う子どもたちの獅子舞をリーダーの中野善法印(善一)さんが温かく見守る。

舞台入り

七つ釜(宿大乗神楽)
 天地開闢七神の舞。
「神話の天地開闢にまつわる舞。「古事記」と「日本書紀」の七神は、異なるが、国土のあらゆるものを七神で作った物語を舞にしている。大乗神楽では、必ず一番目に舞い、面を付けず七人が鳥兜・常衣・袴姿で扇と錫杖を持ちゆったりと舞う。
垂迹神               本地仏
 1 國常立之尊        阿弥陀如来
 2 國狭槌之尊        薬師如来
 3 豊葦渟之尊        千手観音
 4 泥土煮之尊・沙土煮之尊 十一面観音
 5 大戸道之尊・大戸辺之尊 地蔵菩薩
 6 面陀流之尊        龍樹菩薩
 7 伊弉諾之尊・伊弉再之尊 如意輪観音


地割(村崎野大乗神楽)
 泥土煮尊(日光菩薩)と沙土煮尊(月光菩薩)の舞。
「2人の舞、面と鳥甲をつけ、千早、脱垂、袴、白足袋姿で、扇と錫杖を持って舞う。
悪しき土を捨て、良き土を盛る舞とされます。
舞う2神は、「七つ釜」の第四の皇子「泥土煮尊(日光菩薩)・沙土煮尊(月光菩薩)」です。
2神は7神で初めて夫婦神として登場し「第四の皇子は何を徳として和歌をば保ち給う。」「第四の皇子は和歌を保ち給わずば情け有るべからず。」と言う言事が述べられます。日光・月光の菩薩は、薬師如来の脇侍です。」

棟上(上宿和賀神楽)  
 なんと小学二年生が頑張っていました!
「直面で鳥甲をつけ、千早、脱垂、袴、白足袋姿で、扇と錫杖を持って舞う。
増長天持国天広目天多聞天(毘沙門)の四天王が四節を分ける舞と言う。四天王は仏を守護する帝釈天の配下。四天王はそれぞれ東西南北の守りを固める。」


庭静(にわしずめ 上宿和賀神楽)
 天岩戸の前を鎮める舞。垂迹神は、「國常立尊」で本地仏は、小比叡権現
「面と鳥甲をつけ、千早、脱垂、袴、白足袋姿で、扇と錫杖を持って舞う。

(直面)

小山の神(笹間大乗神楽)
 山の神に奉仕する演目。番外。

初夜榊(笹間大乗神楽)
不動明王ハ身ニハ火焔ノエタギ、コウベニハラアイサンノ弥陀ヲイタダキ”
 法印の資格を持つものしか舞えない。

狂言「つぼ草」(村崎野大乗神楽)

龍殿(笹間大乗神楽)
 貴船大明神(知勝仏)と加茂大明神(難勝仏)の舞。

普勝(上宿和賀神楽)  
盛況!
 国挟槌尊(八王子権現)の舞

七五三切(和賀大乗神楽)
 天岩戸の前に張った注連縄を切る歳殺神黄幡神豹尾神の三神の舞。
 牛頭天王の子供8人の三神で八方位の吉凶神である。本地仏は、歳殺神が千手観音・黄幡神胎蔵界大日如来・豹 尾神は金剛界大日如来。凶神の姿で天の岩戸の注連縄を切り落とす。


王の目(上宿和賀神楽) 
 阿吽の面を付けた二神。第七の皇子「伊弉諾之尊・伊弉再之尊」(毘廬遮那仏・白山大権現」)が、内宮・外宮を 立ちはじめる時に加持します。
言事
 一、 王の目は舞ふてぞ登る今年も 尚来る年も神ぞ礼せよ。
 二、 皆人のかけて、世よき王の目は いざわりかけて千代を栄える
 三、 白石は舞ふてぞ今年も 尚来る年も神ぞ礼せよ。
 四、 夢見せばあらみな見せぞ白石は とがらからかみ八重の白石

魔王(山の神の舞 和賀大乗神楽)
垂迹神は降伏金剛夜叉明王本地仏は天鼓雷音如来

狂言(宿大乗神楽)
「侍の多徳兵が殿様に献上する珍しい宝物を家来に350両渡して仕入れさせに行かせます。帰ってきた家来は、旅の面白い話を主人にしながら買ってきた宝物をみせます。単なる笛を平敦盛の青葉の笛と偽り、五色の音色が出ると言いながら奏でません。さらにふつうの菅笠を「かくれ笠」と偽り主人を騙すという筋書き」

地讃(八幡舞 宿大乗神楽)
(じぼめ)「八幡大菩薩本地仏阿弥陀仏)と天児屋根尊(あめのこやねのみこと)(本地仏は観音)の二人舞で弓矢を持って悪魔払いをします。天児屋根尊から3代目の系譜に「宇佐津姫」がおり、宇佐八幡宮以前の神と考えられます。天児屋根尊は、岩戸開きで祝詞を唱えた神で祝詞の祖神とされ中臣鎌足藤原氏)の守護神でした。
奈良東大寺建立に当たって八幡神が協力したことから仏教の守護神として八幡大菩薩の神号が与えられ全国の寺に広まったとされています。この様な2神の由来と関係が説かれ舞われると考えられます。弓矢の神徳をたたえ、四方に矢を射て悪魔払いをします 。」

荒神(和賀大乗神楽)
「三つ目の阿面を付け鳥兜かぶり、常依に袴姿で玉袈裟をつけ、4本の幣束を背中の腰にさす。
4本の幣束は、北東(鬼門)と東西(病門)、更に南東(風門)と北西(乾天門)に立て祈祷し四方より大龍(災い)の侵入を防ぎ、幸いと豊かさを招く。荒神も法印の資格を持った者しか舞えない。
三つの目は、飢渇神・貪欲神・障礙神を表している。」

湯引(村崎野大乗神楽)

帝童(村崎野大乗神楽)
垂迹神は龍女、本地仏は獅子音仏。
「頭を布で覆い鉢巻きをしめ、若女面をつけ日輪のカンザシつける。紋付きの小袖を着る。錫杖と扇を持つ。
帝童は、後生の孝を願って舞う。後生とは、来世のことで、幕掛け言事に「ようよう急ぎ行く程に熊野参りの帝童にて、いざさら出でて若子舞う」とあり「孝」を願って熊野に行く様子が伺える。
更に言事には「エーセンヤー あありゃ 立ち巡れ、立ち巡れ、立ち巡れば科が尚勝る 面白し ごほーぜ(御宝前か?)」更に「鏡見れば」「袂取れば」など女性の日常的な仕草(嬌態)を取り入れており、大乗神楽唯一の女舞いである。」

帝童追っかけ(もどき)
「黒のひょっとこ面を付けた道化が帝童を追っかける。胴と掛け合いながら女を出せと面白おかしく進めまる。胴が「あねっこなら唐の天竺まで行ってしまった」と言うと踊り出し天竺での短歌を交えた面白いやり取りをする。」

笹結(上宿和賀神楽)

薬師(上宿和賀神楽)
垂迹神は江文大明神(えぶみ)で小川や谷・峰より悪水(疫病などの元凶)が湧き出る時、瑠璃の瓶より薬を出して善き清水にする病魔退散の祈祷舞いです。33番の番外編の舞いです。薬師は薬師如来牛頭天王やスサノウの本地仏
江文大明神は、三十番神の一人で8日を守護しています。三十日秘仏では薬師如来の縁日に当たります。明神とは、豊臣秀吉豊国大明神などと自らを称したように神は仮の姿ではなく明らかな姿で現れると言う解釈です。大明神は、明神の尊んだ言い方です。江文大明神は、江州(ごうしゅう・近江の国)にあった明神で本地仏は弁財天とされています。弁財天は、仏教守護神の天部の一つで本来仏教の尊格ですが神と見なされています。滋賀県には弁財天を祀る歴史のある長浜の宝厳寺があり、昔は比叡山の傘下にありました。」

真似三番叟(宿大乗神楽)
「翁舞いとして位置づけられ黒面で滑稽なしぐさが特徴。追っかけが出る真似三番叟は、会場を巻き込んでおもしろおかしく演じるが、昔は興に乗った客が飛び出して踊ったという。
人々が末永く無事で長生きできる事を神歌にのって四方を踏み固め、邪悪を浄化させる舞い。
幕掛言事
上を見たれば賀茂や桂川。下を見たれば近江川。中を見たれば愛染川とて流れける。さればたのや、おさえおさえに大淀小淀。昔の猿子はあんま拍子にかまえてた。」

大乗の下(和賀大乗神楽)
「庭静の国入りのない御神楽で四方を踏む舞。垂迹神は加茂大明神で本地仏は難勝仏です。舞台を清める意味もあります。
加茂大明神は三十番神(国や庶民を日替わりで護る神)の12番目の神です。三十番神は、古い記録に寄れば10種類あり、難勝仏を本地にするのは、「禁闕(きんけつ)守護」つまり宮中を護ると言うことらしい。難勝仏は、三十日秘仏のやはり十二日仏で他の仏様よりも智悲行徳が優れていることからこの名が付いたとと言われます。」

天王(和賀大乗神楽)
牛頭天王と今帝の二人の舞。ザイをかぶり面をつけ鈴掛の袈裟に太刀をさす。疫病退散を願う牛頭天王の舞です。
牛頭天王は、自らの由来を語り、蘇民将来巨旦将来の物語を述べて蘇民将来への恩義を示す。
今帝は自らのいわれを語り、我が君牛頭天王は、大権薩捶霊大神の化身である言う。今帝は本地蛭子の御前である。牛頭天王が国土を見渡せば、虚空に八つの日が照らし、水も熱湯になり草木も枯れてすべての人間が煩っていた。そこで天王は、八つの日を落とそうと神通力ある弓で矢を放った。東の日を落とすと首は寅で胴が卯であったのでこれを寅卯の守護神とした。南を撃ち落とすと首は巳で胴が午であったので巳午の守護神とした。さらに西を射落とせば、申と酉であったので申酉の守護神とし、北は亥子の体だったので亥子の守護神とした。中央からは變化の鳥が落ちて虚空に日の神が現れ衆生に和やかな日を与え、病がみんな治った。
二人の掛け合いがあり、弓矢を四方と中央に射ながら舞う。」

正足(宿大乗神楽)
「阿の荒面をつけザイをかぶる。タスキをかけて背に鉾をさすいでたちの一人舞。悪魔外道を切り払うため鉾で祓い四方浄土と舞う。
垂迹神は、大威徳夜叉明王五大明王の西を守護する神です。中央に不動明王がいます。
本地仏は、観音自在如来です。」

神拝(宿大乗神楽)
「鳥甲に面をつけ常衣・袴姿で御幣と扇を持って2人で舞う。神代の神、大戸道命(寂光仏)と大戸辺命(多宝仏)が高天原で舞う。この2神は、七ツ釜の第4の皇子で五穀を司っている夫婦神です。」

後夜榊(村崎野大乗神楽)


岩戸開(上宿和賀神楽)
「天の岩戸を開く舞。翁面の鹿島大明神と客僧面の猿田彦が天の岩戸に揃うとホラ貝を合図に、天照大神が岩屋に隠れたいきさつが述べられる。二人の御神楽が終わると荒面の手力雄命が出て舞う。岩屋に張られた〆をはずし天照大神を導き出す。天照大神は、大乗の下を四方切り舞う。
天の岩戸の舞は、平神楽の時は特に所望されなければ舞いません。」

鐘巻(和賀大乗神楽)
「鎌倉開山伏屋と言う長者の一人娘が全国の寺を巡って有名な紀州和歌山県)由良の鐘巻寺を参拝に訪れました。住職が、この寺には5つに7つの不思議があって女人は詣でられない、更にその昔女人が鐘を突こうとするとたちまち邪身(蛇身)になったので帰りなさいと諭しましたが、娘は振り切って鐘を突いてしまい邪身になってしまいます。そこに客僧(熊野の修験者)が「近峰山(金峰山)33度、羽黒山にも33度、桂木山(葛城山)も33度合わせて99度も修行した」と述べながら娘が邪身となったと聞き及んだので加持祈祷して成仏させてあげよう現れます。蛇身が出てくるまで客層は、道化て見物人を楽しませます。早く蛇の面を見たいと胴取りとやり取りすると蛇身になった娘が飛び出し客層と闘います。この物語も構成から女人成仏を語ったもので山伏の力を示した演目です。
この物語は、狂言や歌舞伎の道成寺の元になっていますが、ここでは由良の鐘巻寺と設定されています。」

     生身か‥

雨が激しくなりだしたころ ついに鬼門が‥





鬼門
「本来大乗会でしか舞わない祈祷舞で凡そ90分に及び、104年ぶりの平成16年の大乗会で公開された。 
大乗神楽では、通常の舞を平神楽と呼び、「鬼門」と「天王」は「大乗会」の時にしか舞わない特殊な祈祷舞。
装束は、鈴懸衣に結袈裟で裁着袴に手甲脚絆を付け、八目草鞋を履いて法印が舞う。
鬼門とは、忌み嫌われる方角・北東(丑寅)とその反対の裏鬼門は南西(未申)を一般に言う。
鬼門の舞は、寅舞とも呼ばれ「表寅」と「後寅」が、鬼門・裏鬼門の注連縄で仕切られた鍔釜の前で鉾を持って舞い、注連縄を切り落とす。」

橋引

「橋引」の乙女の祈り
“南無ヤ父方先祖ノ氏神 南無ヤ母方先祖ノ氏神
 南無熊野は本宮新宮那智の大権現”

  橋成就!

「橋引」は橋造りのために伐られようとする伊会杉が乙女に最後の別れをするという物語りでした。
  「人ならば契りも深き伊会(いかい)杉の今の情を忘れがたさよ」

「その昔、渡会(わたらい)川(別の写には名取川)に橋をかけることになり、適当な木が無いものかと探しましたとろ、此の川上流に伊会杉とて能き木が見つかりました。
切り倒したのですが、さて橋をかける場所まで引こうとしましたが、びくとも動きませんでした。いくら人足を増やしてもだめなのです。
不思議に恩って、神に祈誓(いのりちかい)し奉れば霊夢(れいむ)新(しん)に、この里に住む乙女(別の写本には乙鶴)が手を掛けねぱ成就ならぬとのご託宣が出ます。
みんなは方々手をつくし、とうとう乙女という娘を探し出し、訳を話します。
乙女「応、如何に奥土に住わとて、女に橋引とは荒氣なり」
翁「實々尤(みのるくりかえしゆう)には侯え共、この橋成就なるならぱ、橋本一千軒化粧料す也」
乙女「實忘れたり去年三月、若宮参りの時に俄か雨に会い、この杉の古木の下
で雨宿りした時、一首の歌を詠じれる」
《人ならぱ契りも深き伊会杉、今の情を忘れがたさよ》
乙女「神慮に叶え奉り、さあらば祈り申さ」
南無ヤ父方先祖ノ氏神
南無ヤ母方先祖ノ氏神
南無熊野は本宮新宮那智ノ大権現
翁「この橋成就成るぞ、早々出て橋引玉へ」
乙女が祈祷の真似をして古木運ぴの綱に手を掛けますと、どうでしょう、あんなに大勢で引つてもびくともしなかった杉の古木が軽々と動いたではありませんか。
そこで人足達は、さては杉の木の精が、去年この木の下で雨宿りをした乙女を見初めていて、最後の別れをせんがために待っていたのでは、と話しあいます。

橋引口文
[胴取り] と「人足]の掛け合い
日本元理の      神変利生
和光利潤       大徳明から
神祇も威徳      天地も動かし
乙女(乙鶴) 御前の   祈りを掛ければ
天気は長久      地気は堅固に
上は御武運      永く繁栄
下は安穏       心身快楽
耕作十分       農業自在と
祈り祷れば      神(かみ)験(しるし)新たに
此橋成就の      天下の賜物
霊験尽さる      神の御末と
尊く敬い       謹み申す

このようにして橋は立派に完成した。

一人は翁は杉の木の精、乙女は女体にて、カンザシを若女面に黒の振り袖、人足数名。手拭を被り立付袴にたすき掛け。わらぴ折・鐘巻・橋引は帝童同様に入っているのである。
(岩崎・伍代院文書より)」


雨がやみ、ついに最後の「伏獅子」(村崎野大乗神楽)がはじまりました。





「下舞と権現舞からなる。下舞は、脱ぎ垂れ姿で錫杖・扇・数珠や手次を使って一人で舞う。権現舞は、下舞の舞手が権現頭を舞わし、もう一人が幕の後を持って、歯打ちし四方を拝む。
権現とは、仏が衆生済度に、仮の姿(獅子頭)で現れる事。権現舞は、神社の祭神や産土神を自らに降ろして地域安泰・五穀豊穣・無病息災・火防を祈願する。神仏の供物(米・酒・水)を祈祷し、参拝者の身体を咬み祈祷を行う。
伏獅子は、通常の権現舞に扇や剣を持った舞い手が加わり、獅子に扇や剣を呑ませる。獅子は鳴き声をあげながら獅子の体内で清め吐き出す。
大乗神楽の獅子頭には、耳がなく、幕の模様は鱗で「龍」や「蛇」であると言われている。」

大乗会 無事終える。(10時半)
実行委員会(八重樫瑞郎会長)をはじめ皆様のご尽力で、奥寺堰を開いた先人に捧げる神楽の舞は大成功でした。
舞はもちろん、大乗飾りや切紙に至るまで和賀の人々の底知れぬエネルギーに感服いたしました。

              (大乗飾り)
五色の短冊には「観音妙智力」「念念勿生疑」「衆恩悉退散」などと観音経の一節が書かれています。
「大乗会は、観音経が記された108枚の五色の短冊の天蓋を頂く大乗飾りと言われる荘厳化した舞台で三十三番の神楽を舞います。」(民俗芸能・郷土芸能com)

「大乗飾りについて(明治八年大乗会次第)
舞台切飾作法
天龍(天蓋か)ハ四尺三寸二分、上の青形ハ二尺二寸、青形ノ間ハ五尺三トナリ。上ゲ巻ハ五色ノカギダレ、上ヘハ天根川トテ、頭ヲ二ツニシテ尻ヲ一ツ作リ、未申ヲ頭ニシテ、丑寅を跡ニシタシ、後ニ三段ヲカザリ、御備三膳、香花、燈明、酒水、向フニ天廿八宿、地ノ三十六禽、梵天を立ル。釜ヲツリ、四門ノガクハ(梵字4文字)、水引ハ五色、四方ニ縄を張リ、十二支十幹、四方角ニ水車、四方ノ中ニ天人カレウビン(カリョウビンガ)、登リ龍、降リ龍、羅門小幡ハア天龍ニ付、外ニハ青赤白黒ノ幡、屋根ニ付、ヒジ掛米トテ、拾貳駄、四方ノ角ニ積也。銭拾貳貫、四方角掛ルナリ。」

※以上の説明は、当日の立派な解説パンフ(『伊勢の森の大乗会』伊勢の森の大乗会実行委員会2009年)を参考にし、多くをブログ「okuderazeki」より引用(「」内)させていただきました。誠に有難うございました。

○おまけ
最初の「神降ろし」「七つ釜」と「天王」



◎詳しくははokuderazekiさんのブログでどうぞ↓
http://okuderazeki.at.webry.info/200907/article_28.html
・大乗神楽復興・発展に尽力されたと紹介された故門屋光昭先生

鬼と鹿と宮沢賢治 (集英社新書)

鬼と鹿と宮沢賢治 (集英社新書)


●「クラヌシの歌」とは
当日、紹介された「クラヌシの歌」は興味深いものでした。
解説パンフの裏表紙の写真から一部を自己流に読んで書き出してみると
死出の山往くなる亡者‥浄土さては極楽‥」などと見えます。
もしかすると水谷類氏が述べているような
「神楽などの舞所‥イエ(一族)の先祖霊(神)は廟墓や神社を住み処として永遠の時間を生き続け、より上位の神とともに一年ごとに甦り、そのエネルギーを更新し続ける」ことと関わるかもしれない。
墓前祭祀と聖所のトポロジー―モガリから祀り墓へ

墓前祭祀と聖所のトポロジー―モガリから祀り墓へ

「村崎」は「紫」かもしれない
http://d.hatena.ne.jp/tenti/searchdiary?word=%bb%e7%bf%c0%bc%d2

小獅子に未来あり