2007年の心象─神楽バージョン─


                 (寺崎法印神楽のアメノウズメノミコト)
今年はあらゆる場面でりが発覚し、射殺やブット元首相暗殺で締めくくれるような、人間の怒りの心がさらに肥大・表面化した陰惨な年として歴史に記憶されよう。

                 (雄勝法印神楽)
我々を元気づけてくれた池田晶子坂井泉水も志半ばに去って逝った。しかし、これらの歌を聴くと、まだ、人間にはわずかの希望があると思う。そこに思いやる心が顕れているからだ。「自分の心象を観る」ことの気づきによって、そして気づいた人々が協力して、新たな価値を創りだすこと【協創】によって人間回復はありえよう。もっともそのためには日本人は世界の人々ともっともっと触れ合う必要がある... 
個人としては、神楽など伝統芸能にふれることができて「遠い過去からの伝承の大事さ」に気づいた。題材となる日本神話のモチーフの一つは【異常なる存在】のスサノオが「異常なる存在」のヤマタノオロチを退治して英雄になる話だ。その日本神話は中世に伊勢神宮の神官が密教とふれて大きく変容した(斎藤英喜『読み替えられた日本神話』)

読み替えられた日本神話 (講談社現代新書)

読み替えられた日本神話 (講談社現代新書)

年末に出た『脳と日本人』で松岡正剛先生はそうした「「異質の例外性」こそが文化や社会のもっとも普遍的な何かに触れている」という。また、正剛・茂木健一郎両先生は【「遥かな遠い過去からの歴史的な積み重ねを記憶する生命体としての人間」はコンピューターがマネできない存在である】と言う。
あえて身近な興味にくっつけると伝統芸能のすごさもそこにある。正剛先生は司馬遼太郎の「日本の真水」にふれて、【「うつり」を残していく文化」というのは見直されるべきだ】と語る。今年偶然にめぐり合うことができた霜月神楽も伝承1200年の神子舞を高校生が初々しく舞っていた。

(秋田県横手市大森町 夜を徹して舞われる保呂羽山 波宇志別神社・霜月神楽にて)
脳と日本人

脳と日本人

「記憶のうつし」でありながら「そのつどの一回性」を持つ日本文化、明治に大きく歪曲され、今や急激に失われつつある日本文化。その「日本文化のささやかな語り部」、正剛先生の言に叱咤激励される思いである。
仙台のマチで行なわれた上町法印神楽にひきつけられて、“まめからさん”のお祭りに。む静かななまちの夜に突如、浮かび上がる神話におりこまれた健康的な猥雑さとこどもたちの視線。豊里の夜の神楽は忘れられない。

    (マメカラサン祭り 豊里の稲荷神社で行なわれた夜神楽)
「異常なるもの」を平均化せずに超える道は【日本を世界の多彩な文化とまぜて見る・(そして)新しい関係を発見し、一人ひとりがその発見をどのようにあらわしたらいいか(正剛先生)】表現していくことではないだろうか。


          (こどもたちが舞う駒堂文字神楽 マチゲキにて)
さようなら 2007年