松音寺


仙石線榴岡(つつじがおか)駅から南に歩いて数分の所に。

 あっ

フワァーと桜の小枝が降りてきて 苔の上で向かい合うひととき

微妙な青空と雲の淡いに老桜みなぎる

桜を無心に啄ばむ鳥がいたんだ

伊達政宗晩年の城である若林城(若林城跡は宮城刑務所敷地)の城門を移したとされる由緒ある寺に

花見通?の親子が訪れる。

覗いたお堂のなかの仏様がかわいい赤ちゃんを抱いていた。
・『仙台市史7』(昭和28年)によれば「日本六体の一と称せられる安保原安産子育地蔵尊(銅像)で刈田郡白石町遠 藤家の寄進により昭和四年孝宮内親王誕生記念として築造したもの」とある。 調べてみるもんだな
でも「安保原安産子育地蔵尊」っていったいどんなお地蔵さんなのか?
・「後冥賀探歩 第2部」『silver is enjoyed.』HPより
 http://www9.ocn.ne.jp/~hanako7/2myougasi.htm

根から桜に目からウロコ!

ありがたや 一期一会の 観世音


               さよなら しょうおんじ
鈴木さん こんないい所 紹介していただいて有難うございました。
松音寺の歴史(概要)
五峰山松音寺(曹洞宗 若林区新寺4丁目)は元、福島県桑折町の伊達氏12世成宗(1487年卒)の墓所に建立された。後、戦国家法『塵芥集』で著名な14世伊達稙宗(たねむね)が長男晴宗との戦いの後隠棲した宮城県丸森の地に移り、更に1602年政宗の仙台開府とともに連坊小路(現連坊小の地)に移った。1618年政宗の五男宗綱が16歳で死去すると中興開基となり伊達氏一門格となった。明治3年火災で焼失し現地に移転。政宗晩年の居城若林城の城門が廃城後移築されたと伝わるのはこのような伊達氏とのつながり、特に宗綱との縁によるものか(『宮城県寺院総覧』などにより推定)。