多賀城政庁前面の道路石垣


多賀城跡で奈良時代の石垣が発見されたというので、現説に行ってみた。

多賀城政庁跡前面に整備された階段

    (発掘地はの南側)
 
多賀城跡政庁と南門の間(図のCの南側付近)が発掘され(79次調査)、湿地に築かれた奈良時代の道路の盛土を抑える石垣(上の写真は調査区北側の石垣で乱石積み)。

調査区の南側の石垣は一見、近世の石垣と思えるほどしっかりしています。奈良時代にこのくらいの高さであれば石垣の技術は確立していたわけです。
高さ1.2mくらいですが、本来の道路面を考えると5.6段1.7mの高さだったと推定されます。裏込め石の有無で「石垣」と「石積み」を分ける説からすれば「石積み」になるのでしょうか。
いずれにしても奈良時代創建期の多賀城は石積み技術を駆使した壮大な城だったようで、西日本では最近、話題となった蘇我氏邸宅跡の石垣や岡山県総社市の鬼ノ城(桃太郎の伝説のもと?)の石垣が有名ですが、東日本の官衙・城柵では極めて珍しいものとのことです。
・甘樫丘東麓遺跡(asahi.com)
 http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000140706220001
・鬼ノ城(古代吉備文化財センターHP)
 http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kodai/kinojou-top.html
道路は奈良時代の13m幅のものと平安時代の23m幅のものがあり、湿地に多量の盛土をしています。道路にはさらにそれより新しい時期不明の6m幅(両側溝付)のものがあります。(データは「多賀城跡79次調査現地説明会資料」)

道路の東側の高台には建物跡が見つかっていますが、平安時代の三間四方の総柱建物跡は陸奥国分寺が立っている仙台平野を一望する「楼」と推定されています。

南方、対面の多賀城碑のところでは観光ボランティアさんが活躍していました。