2007-07-01から1ヶ月間の記事一覧

梅雨の「氷河期の森」

曇から青空が垣間見えたとき 日本原産のスイレンとされる未草(ヒツジグサ)に遇えました 梅雨の「氷河期の森」12時 ひつじの刻(1〜3時)に近い ・・白い輝きがコンパクトカメラを拒否しています。 捩花ネジバナねじりはな “昔は珍しくなかった”といわれますが …

多福院

カーンマーン セイタカ コンカラ 1.2m 応永五年(1398) (慈恩院より望む) おめでたい名の多福院は全国の板碑研究者の「多福院参り」といわれるメッカ 珍しいアン字房 【牧山住僧伝灯大阿闍梨位 応安四年(1397) 刑部頼禅六十八歳為逆修敬百】 皆様の長寿祈願 …

霊場松島雄島

松島、特に雄島には200基を超える井内石製の板碑が確認されているという。 極楽往生の近道として武士・僧を初めとして高野山のように納骨がなされた。 map:x141.0624y38.3655:map 珍しい雷文様が(正和二年1313) 恐らく南端に立つ井内石製の高さ3mの巨大な板…

井内石の旅(南方編)

以前に紹介した石巻の西方30数?、鳴瀬川辺の凄い井内石製の板碑。鳴瀬川と幹線道路の節点か? 左は武蔵地域の影響を受けた阿弥陀三尊種字弘安二年(1279)板碑、右は阿弥陀立像を刻んだ正元二年(1290)板碑。 一帯には40数基の板碑があり、寺院があったのかも知…

湊・慈恩院

多福院の北側に隣接している。 右側は冒頭に掲げた弘安七年碑 偈頌「一切衆生 悉有仏性 如来常住 無有変異」(『大般涅槃経』) 牧山宮■■重吉が病で没し、五七忌に遮那を主尊として造立するという注目すべき銘文がある。 ・参考『石巻の歴史 第八巻 古代中世編…

石巻湊・多福院

もちろん、地元では多福院境内(吉野町)の93基(鎌倉〜室町時代)をはじめ沢山の見事な板碑が造立された。 「安養寺殿大禅定門第三周所造立也」と刻まれた元徳三年(1331)の板碑 みごとな種字ウーン(胎蔵界大日如来) 梵字五輪塔種字板碑(応永二十年1413 高さ2.8m…

井内石板碑の旅

(梵字アーンク胎蔵界大日如来 弘安七年(1284) 石巻・慈恩院にて) (北上川井内付近) 石巻市井内(稲井)は北上川の川べりにある中世以来の一大石材産地 現在は生産は落ち込んでいるが川岸には粘板岩の石材が積みあがっている。 map:x141.3284y38.4399:map 鎌倉…

伝長江義景後室勧請の滝不動

矢本上館下の伝長江義景後室勧請の滝不動 背後の滝を撮ったら・・・ 欅に樅?がからみつく ご本尊はこれも慈覚大師とな

五郎宮(長江氏の里再訪)

こちらは再び鳴瀬川下流(東松島市) 戦国期の長江氏の館跡に ここにも鎌倉権五郎伝承の宮があった 三つの館が川を抑えている。 三角⇒塔?を意識している小型板碑もある。 イ 地蔵 叢に埋もれた八幡社 鳴瀬川を遡って頼朝伝承のある三本木の若宮八幡 残念なが…

鳴瀬川流域の板碑

古川(大崎市)にて名高い板碑に出会えた。 真中の日陰の小板碑は実は 線刻阿弥陀像板碑 正和三(1290)年、井内石製。 「右志為相當忘子五七■ 過去聖霊出離 生死証大菩提也」 頭部に二条線が刻まれた東北地方では極めて珍しい関東系の阿弥陀三尊板碑! 弘安二(1…

十八夜観音堂に参りてドラリオンを授かる

十八夜観音堂に参りて、明日終了のドラリオン当日チケット入手。満喫の20070707日

阿弥陀三尊種字板碑

阿弥陀三尊種字板碑 弘安五年(1282) 長い年月の風雨のせいで見えにくい。 反転させてみた 少しは見える。 根古八幡社 村の社の雰囲気がいい 破損している小さな板碑にも阿弥陀三尊の種字 弘安九年(1286) 井内石の板碑に小カエルが登り ダンゴ虫をあわてさせ…

七月の長江氏の里

七月の空は すがすがしかった アザミがいたるところに咲いていた 東松島市根古を再訪。鎌倉時代の板碑(供養碑)が見守る里。